香港 HONG KONG

Model : Michelle Fukushima / Photographer :Charis Mundy
Location :"Man Mo Miu"temple, Hong Kong



風水。

正しくは、"風水地理"といい、 古くから中国に伝わる占いのことである。

この占いは、地理という漢字が示す通り "方位"が基本となっていて、生まれた年 の星(本命星と呼ぶ)を中心に、自分が 住んでいる場所や、宇宙のエネルギ一の 動きを見て、その方角の吉凶を定める、 というもの。

実は、香港に"よく当たる"と噂の風水師 (風水を占う人)がいるのだ。

なんでも、彼は副業に風水師をしている のだが、相談相手を1度面接した上で、 初めて占いに臨むという。 要するに、彼に気に入られなければ、見 てもらうことなど、不可能なのだ。

これは、私の将来のためにも、彼と会っ てみる価値があるかもしれないゾ。

香港でショッピング! もいいが、私は、 この"風水師"と会うために、先月、香港 へ飛んだ---

---ジャ一ン(ドラの音)---香港

ホテルにチェックインを済ました私は、 彼の待つ、ワンチャイへ向かった。

このワンチャイ(湾仔)は、1950年代に 書かれたリチャ一ド・メイスン原作の『 ス一ジ一・ウォンの世界』という小説が 映画化(米国)された時に、その舞台と なった場所である。

フフッ、いかにも風水師が潜んでいそう なロケ一ションだワ、と私は、彼の事務 所の古めかしいドアを叩いた、

「 Hello? 」

しばらくして、チャイナドレス姿のおば あさんがドアを開け、私を部屋へ招き入 れてくれた。と、そのとき、私の目がテ ンになってしまった。

ウッヒャ一。部屋中に、百羽ほどの"鳥" が、飛び交っているではないか。 ミッシェルin鳥カゴ! てか一。

いやいや、こんな非常事態に、ジョ一ク を飛ばしている場合ではあるまい。

「ハイ、失礼しましたッ」と、トットと、 退散すべきなのだ。ところが、もう1人 のミッシェルが、こう囁いた。

「せっかく彼に会うために、香港まで来 たんでしょ。それに、このネタでエッセ イ書くんじゃなかったの?」

そうだったッス。で言ってしもた。 「アポイント、とってくださいッ」

結局、その風水師は現われないまま、 3日後に、彼と会うことになった。

翌日は、香港に住む"リカ"さんとお出か け。彼女は、香港で活躍する唯一の日本 人女性キ一ボ一ドプレイヤ一で、あのア ジアの歌姫、サンディ・ラムに曲を提供 したり、ジャッキ一・チュンのバックバ ンドを担当し、スタジオミュ一ジシャン としても、ひっぱりだこの人物。

彼女と街を歩いている時、高層マンショ ンのベランダの1件1件に、光る物体を発 見して、彼女に尋ねてみた。

「あ、あれ。あれはね、ミラ一」

これは、風水の考えによるもので、外か ら来る"悪気"を、その鏡で跳ね返す、と いう意味があるらしい。

「福は内、鬼は外、なのよ」と彼女。

この日の2人の目的は、"足揉"。呉若石 神父足部反射区国際研究学院という、足 だけをマッサ一ジする、ユニ一クな治療 院があるのだ。

足には、内臓や筋肉、骨、内分泌腺、そ して神経につながる"反射区"(ツボのよ うなもの)が集中していて、そこをマッ サ一ジして刺激することによって、対応 する部位の機能を高めることが出来るの だという。

「30分で、240ドルって香港にして は高くない?」と、リカに言うと、 「まあね。でも香港には、日本みたいな 健康保険がないから、妥当なお値段かも よ」だって。

さて、足揉でフットワ一クも軽〜く、翌 日は、このペ一ジの写真撮影へ。

カメラマンは、スペイン出身の女性チェ リ一ス。撮影場所は、香港最古の道教寺 院 " Man Mo Miu " 。

チェリ一スは、仕事で来日した経験もあ る、売れっ子のモデルだった。故に、カ メラを構える姿が、メッチャ、カッコイ イのだ。

撮影中、彼女が私に、こう尋ねた。

「モデルが出来なくなったら、 どうするの?」

「そうねぇ一。書くの好きだから、 エッセイストでやってゆきたい」と私。

「そう。やりたい仕事があるのは、いい ことだわ。だって、モデルなんて、一生 やってゆける仕事じゃないもの」

モデルという仕事から、次のステップを 踏んだ人こそ、言えるお言葉!思わず「 先輩!」って言っちゃった。

そして、いよいよ、あの風水師に会う日 がやってきた。私が彼のドアをノックす ると、中から声が聞こえた。

「Come in」 ヌヌッ、男性の声。

この声の持ち主こそ、私をこの香港に導 いた人物に違いない。私はそっと、ドア を開けた。

アララ・・・。

この前いたあの鳥の大群は何処へやら、 1人の男性が、応接セットのソファ一に 腰掛けていた。

「Please」と言われて、私は彼の向かい に座り、そして尋ねた。

「面接なかったんですね」

「いいや、僕は君のことを、あのカ一テ ン越しに見ていたよ。それにあの鳥達が 面接の道具。根性のない人間は、2度と 来ないサ」

と、カッコ良く言ったかと思うと、彼は いきなり、デッカイ、クシャミをするで はないか。「ハックション!」 なんと彼は、私の付けていた香水が、苦 手だったらしいのだ。

私の持つ風水師のイメ一ジとはウラハラ に、彼はダブルのス一ツに身を包み、ダ ンディ一なオジ様、ってわりには、香水 がダメときた。

変な風水師!

でも、このクシャミのお陰で、私はリラ ックスして占いに臨み、最後に気になる、 結婚について尋ねてみた。

「君は結婚しない」と彼。

ヤダ、私、行かず後家で終わるの一。 そんな一。そして彼は続けた。

「しないというのは"日本人と"というこ とだ。君は外国人と結婚する」 ホッ。

「君は近い将来、香港に住むことになる かもしれない。そして君は・・・・・」

この風水師の声と、香港の香りが不思議 と心地良かった。そして私は、少し、汗 をかいたのだった。

香港は、もうすぐ、黄昏時を迎えようと していた---。


オリエント急行 ORIENT〜EXPRESS

Model : Michelle Fukushima / Photographer :Kenji Watanabe



オリエント急行。

これは、皆様御存知"世界一 華麗な列車"の名前である。

1883年10月4日、パリ東駅 のホ一ムに初登場したオリ エント急行は、かつて類を 見ない豪華列車として、当 時の人々を魅了し、1920〜 30年代には、ヨ一ロッパ中 にネットワ一クがはりめぐ らされ、全盛期を築いた。

1940年代後半に入ると、航 空機の発達によって、オリ エント急行の顧客が飛行機 に移り始め、1977年5月に は、パリ〜イスタンプ一ル を結ぶダイレクト・オリエ ント急行が廃止され、その 歴史にピリオドが打たれた。

ところが、このオリエント急行をみごと復活 させた男がいた。在英アメリカ人実業家、 ジェ一ムス・B・シャ一ウッド氏である。

熱烈な鉄道ファンだった彼は、こよなく オリエント急行を愛し「もう1度オリエント急行 を走らせよう」という、デッカイ夢を見たのだ。

1977年10月、彼は、モンテカルロで開かれた オ一クションで、1920年代に建造された オリエント急行の寝台車を2台購入したのを 手始めに、30もの車両を集め、それらを 修復して新車同様に変身させていった。

それから約5年後の1982年5月25日、ロンドン〜 パリ〜ベニス間に、"VSOE"として、 その優雅な姿を披露したのであった---。

う一ん、いいねェ一。

シャ一ウッド氏の情熱と 男のロマンが、見事実を結んだオリエント急行! 私の旅する遺伝子に火がついた。"アチッ"。

---パリ東駅

私は、オリエント急行に乗車するために、 この東駅にやってきた。今回は、オリエント急行に 相応しいファッションを選ぶのに、一段と"力"が はいったゾ。あのアガサ・クリスティの小説の様に、 オリエント急行の中で、私が撃たれた時のことを 考えたのだ。たとえば撃たれた後、そのしたたり 落ちる鮮血が、美しく映える服・・・。

私は、真っ白いドレスに身を包み、頭から巻いた スカ一フを風になびかせて、オリエント急行に 乗り込んだ---

さっそく私は、キャビンに荷物を置くと、 車内を見学して歩いた。特にユニ一クだっ たのは、通路の天井にはめ込まれてある広 告の数々。なんとそれらは1920年代の広告 だったのだ。

「ア一、よく探検した」と、自分のキャビ ンに戻ってきたら、緊急事態が発生! "腹痛"だ。

マジ一ッ。あたしゃ一、この旅に、9万円 (飛行機の3倍)もの大金をはたいている のじゃ。「まだ乗ったばかりで、元とれな いじゃないの一」と1人、イカリパクッて いたら、誰かが私のドアをノックするのが 聞こえた。

「Excuse me ?」

私がドアを開けると、制服を着た客室係が、 ニコやかに立っていた。

「お食事でございます」と彼。

アラッ。この人、えらくカッコイイじゃん。 爽やかな口元は、あの、トム・クル一ズを 連想させるではないか。さっきまでの「 9万円はど一なる〜」と、ヤンキ一してた のに、私は、しおらしくなって、彼にこう 告げた。

「私、おなか痛いの」

「それは、たいへんですね。じゃ、お食事 は後ほど、ということにして、お薬をお持 ちします。待っててください。」

「ハイ」

しばらくして、彼が薬と水、それにブラン ケットを手にやってきた。私がその薬を飲 むと、彼は「横になって」と、私にブラン ケットを掛けてくれた。

うんま一。彼の親切が心にしみるワ。だっ て、旅先で病気になるくらい心細いことは ないのだ。そして私は、しばしの眠りにつ き、約2時間後、彼のやさしい声で起きた。

「具合はいかがですか?」

具合? なんと、驚くことに、すっかりよ くなっているではないか。

「なんか、治っちゃったみたい」

「それは、よかった。じゃ、今からお食事 の用意をしますから、ダイニングへお越し ください」

彼のお陰で、私は、オリエント急行自慢の すばらしい料理を頂くことが出来たのであ 〜る。

パリを出発して3時間半後、列車は、フラ ンスの国境、ブロ一ニュに到着。ここで、 このブル一の列車と別れ、フェリ一で、あ の白い断崖で有名な、ド一バ一海峡を渡る のだ。そしてイギリスの国境、フォ一クス ト一ンからは、茶色い列車に乗り換えて、 一路、ロンドンへ向かう、というプロセス を踏む。

さあ、降りなきゃ、と私がタラップを降り ようとすると、あの客室係が「待って!」 と、私を呼び止めた。

アラッ、私の電話番号? と思いきや、 彼は私に、こう言うではないか。

「この列車の手すりは、長旅で汚れていま す。拭きますね」

ま一。感動の嵐一。私の手を汚さない様、 この手すりを拭くというのか!私はこの "極上のサ一ビス"を受けるために、今まで 生きてきたのかもしれない。ア一、撃たれ ずによかったっス。

そして私は、手を汚さずに、タラップを降 りて、ふと、彼に尋ねてみた。

「ね、オリエント急行、好き?」

「もちろん。僕は一生、ここで働くつもり ですよ」

シャ一ウッド氏の夢だったオリエント急行 は、今日も、様々なロマンを乗せて、走り 続けているのであった---。


バンコク BANGKOK

Model : Michelle Fukushima



バサラカム。

このエスニックな響きは、バンコクで宮廷 料理が味わえる、レストランの名前である。

タイの宮廷料理は、あの有名なモンクット 王(『王様と私』の王様のモデル)と、そ の王様の王子でチュラロンコーン王が発展 させたといわれている。

チュラロンコーン王には、なんと、32人も の妃がいて、それぞれの妃達は、食道楽の 王に気に入られようと、日夜、料理の研鑽 にはげんだのだ。

その32人の妃のバトルによって誕生した " 宮廷料理 "とは、いかなる料理なのだろ うか。『タイは若いうちに行け』もいいが、 私は「バサラカムへ食事に」バンコクへ飛 んだ---。

サワッディー・クラップ・カー (こんにちは)、バンコク。

初めて訪れる街というのは、全てが刺激的 で、私の五感にビシバシくる。まずは、鼻 にきた。バンコクには、特有のにおいがあ ったのだ。タイ料理を食した方は御存知だ ろうが、料理の上に添えて出される" パク チー "という青葉のにおいなのである。 バンコクのにおいは、パクチー。

ちなみに、日本にだってにおいはある。超 メガトン級のにおいを放つ街は、大阪の鶴 橋。なにせJR鶴橋駅に降りたら、においが まるごと" 焼肉 "なのダ。

さて、バンコクでの宿泊先は、デュシュ・ タニホテル。なにを隠そう、このホテルの 中に私のお目あての、バサラカムが存在す るからである。

バンコクでの1日目、ホテルの部屋でのん びりTVを見ていたら、聞き慣れた歌が耳に 飛び込んできた。♪好きx2、好きx2、好き x2、一休さん♪ アララ・・・・。

なんと日本のアニメの"一休さん"が、タイ で放映されているではないか。しかも、一 休さんは、" タイ語 " を喋ってまっせ!

「プク、プク、プク、・・・」と一休さん。

この台詞は、川で溺れかけて、プクプクと 言っているのではない。タイ語の発音の基 本は、日本語で表すと『 。』の付く" パ ピプペポ "なのだ。

もしあなたがアジア人と出会って、その人 がアジアの何処の国の人か迷った時でも、 その人がパピプペポ的な発音をしたならば 『タイ人』と断言できるだろう。(ミッシ ェル広辞苑より)

ま、とにかく、境内を箒で掃除している一 休さんが、プクプクとタイ語を喋っている 図は、実にカワイかった。

他にニュース番組も見たゾ。タイのニュー スキャスター達は、番組が始まると、なん と、両手を合掌させて、なおかつ、御辞儀 するのだ!さすが、仏教の国。礼儀正しい っス。

そして翌日の夜---。

私は、鏡の中の自分を見つめて一人呟いた。

「今宵は、33人目の妃を装って、バサラカ ムへ参りましょう」

私はピンクのロングドレスに身を包み、イ ミテーションのパールを散りばめると、エ レベーターに乗った---。

ここはまさに、王家の食卓。王宮を再現し た木造りで、実にゴージャスをきわめてい る。テーブルは堀炬燵風と、椅子の2タイ プあって、私は椅子の方に通された。

「お客様はロングドレスをお召しなので、 椅子の方が、ドレスを美しく見せる、と思 いまして」 とウェーター。

この雰囲気。そして、この台詞。

次に、宮廷料理が出てきた時にゃー失神し て、タンカで運ばれるのではあるまいか。

料理が運ばれてくるまでの間は、テーブル セッティングを眺めていた。ナプキンの形 が、みごとなのである。仏教のお国柄を出 して、" 蓮 "の花の形に折られてあるのだ。

「作るのに時間がかかるでしょ」と、私は さっきのウェーターに話しかけた。

「いいえ。慣れれば簡単ですよ」と、彼は ニッコリしたかと思うと、何処からか、ナ プキンを2枚持参してきて、私に教え始め た。

" 折り方教室 at バサラカム "。

「まずは、四方の端から中央に向けて折っ てゆきます。次は、今折った時にできた角 から中央に向けて折ります。そして、これ をもう一回。次は、裏返して、さっき折っ た様にします」 この状態の時には、一辺 15cm程の正方形になっていた。

「最後に、この中心を押さえながら、さっ き折った部分を一枚一枚めくってゆきます。 ホラッ、蓮でしょ」と彼。

That is magic ! 1分もしない間に、 ナプキンが蓮の花に変身しちゃった。

私が折り方に熱中している間に、店内のス テージでは、民族衣装を着た3人のミュー ジシャンによる生演奏が始められようとし ていた。手には、私が初めて見るタイの楽 器を持っている。

♪ドルルル〜ン、と演奏がスタート。まぁ、 なんてキレーな音色! その美しい音色は"ラナート"と呼ばれる楽 器で、日本の木琴に似ていた。

--私はドレスの為に、ちゃんと椅子にも座 っている。蓮の作り方もしっかりマスター した。そして、私の気分を高貴に誘う、こ のラナートの調べ--

「宮廷料理よ、来タレ!」

宮廷料理とは、私の五感の全てを満たす 『至福』のものであった。

そして、六つ目 の" 感 "(第六感)としては、 「もう一度、バサラカムへ訪れるであろう」 ということである。

そう、32人の妃と逢う為に・・・。


シドニー SYDNEY

Model : Michelle Fukushima / 斎藤諒(2歳8ケ月。モデル歴初。)
諒君はミッシェルの甥っ子、つまり私はオバチャン。
諒君のファンレタ一はミッシェルのE-mailまで
ミッシェルの衣装デザイン+コ一ディネイト:ミッシェル福島
諒君の王冠+小物制作:TOMOSHI



夢中ナイト。

これは、私が初めてプロデュ一スした、 パ一ティ一のタイトルである。

このパ一ティ一の開催地は、ここ、ト一 キョ一ではな〜い。サンタクロ一スが、 サ一フィンしながらやってくる国、そう、 オ一ストラリアはシドニ一で開催したの だ。タリラッ。 

(これは私の口癖で、 ジャ一ンとよく似た表現)

そもそものきっかけは"キンセラ一ズ"と いうナイトクラブのオ一ナ一、デビット ・ミルトン氏の言葉だった。

「君なら、日本人客を集められる。 うちでパ一ティ一を開いてみないか」

なんでも彼は、私の姿を"3-D"(ナイト クラブ情報誌)のファッションペ一ジで 何度か見かけ、彼女なら、シドニ一に住 む日本人の若者を、自分の店に集められ る、と考えたらしい。

うんま一。メッチャ、嬉しい申し出。 一度でいいから、自分のパ一ティ一を開 きたい、と思っていた私に夢が叶えられ るチャンス到来!ではないか。

私は馬より鼻息も荒く、彼に「まかせん しゃい」と返事。そしてミッシェル福島、 一世一代の大仕事に、とりかかったので あった。パカパカ。

まず、彼の期待に応える為にも、お客を 大勢集めるには、これっきゃない。 "美男子コンテスト"である。

シドニ一に住むカッコイイ日本男児を全 員集合!させて、オ一ジ一(オ一ストラ リア人の略)に、我らが誇る、ジャパニ 一ズビュ一ティ一をしらしめてやるのじ ゃ。ならば、二次審査は"ビキニの水着" てか一。ヨダレ。

ま、それはともかく優勝者を『MR・夢中』 と名付けて、エントリ一してくれる美男 子君を募ることにした。

『MR・夢中』を探せ!

友達や知人の協力の甲斐あって、出場者 12名が、みごとエントリ一。はて、もう 1つ、ユニ一クな企画がないものか、と 考えていた時、友人のジャックが、こう 提案してきた。「Raffle Drawnは?」

これは、日本で言う"お楽しみ抽選会"の ことで、会場に来ている人達にRaffleチ ケットを購入してもらい、景品をプレゼ ントすること。

だけど、予算がないじゃないの一。 「スポンサ一を探して、景品を出しても らえば? 僕は、そうしてるよ」

このジャック、実は"ラッツ・パ一ティ 一"というオ一ストラリア最大のパ一ティ 一を主催していて、又の名を"夜の帝王" と呼ばれる人物。さすがは、パ一ティ一 のプロ。冴えてまんな一。

このアドバイスに従って、翌日からは、 スポンサ一探し。とは言っても、私はシ ドニ一でFM局や雑誌のリポ一タ一もして たんスね。

なんと、私の「Help me〜」の一言で、 レコ一ド会社の"WEA"と"CBS"から、それ ぞれ50枚ものCD、"Wolf Blass"からは、 ワイン2ダ一ス、"サカナヤ"からは、100 ドルのお食事券、又、免税店から、シャ ネルの香水などなど、続々と景品が提供 されたのである。そしてみごとMR・夢中 に選ばれたラッキ一ボ一イには、"ハイ アットキングスゲイト・シドニ一"のス イ一トル一ムペア宿泊券!よっしゃ一。

そしていよいよ、指折り数えた1990年6月 4日10PM『夢中ナイト』がオ一プンした一。

この日の私は、雰囲気作りにと、ジャパ ニ一ズキモノをチョイス。チケットを売 る日本人の女の子3人にも、キモノを着 てもらった。11PM、私は出場者と共に、 ステ一ジ裏で、最終打ち合わせ&リハ一 サル。13人のボ一イズは、私が夜なべし て作ったエントリ一ナンバ一を胸に付け、 思い思いの衣装でスタンばっていた。

「ステ一ジでは、バシッとキメてね。 期待してるワ」と、私が彼等に告げる と、最年少のナオが、こう言い出した。

「俺、超一、緊張してるんスッ」

アララ・・・。こりゃ一、一大事。じゃ、 おまじないにミッシェルちゃんのキスで はなくて、いい方法がヒラめいた。

"3本締め"である。日本人の大和魂を手 拍子に込め、皆に1発"カツ"を入れてや るのダ。そして私は言った。

「皆、これから3本締めをやるわよ」

ヨ一ォ。パンパンパン×3+1×3。

ABCD、E感じ!しかし、側で見てい たオ一ジ一は、ビビッてたゾ。

11:30PM、ダンスタイムが終了し、場内 が一瞬、暗転した一。

「It's show time ! 」

司会者のジャック(前出)がステ一ジに さっそうと登場。そして私の名を呼んだ。

「Michelle!」

♪パパン、パ一ン、と"ロッキ一"みたい にテ一マソングが欲しかったゼ、と思い つつ、私は自慢の"タリラッ"のポ一ズを キメて、第一声を発った。

「 Welcome to MUCHU night ! 」

アアッ。私はこの瞬間のために、シドニ 一にやってきたのかもしれない。 パパ、ママ、仕送り、ありがとう。

オ一ジ一と日本人客が注目する中、1人 目の主役が登場。私は、彼のプロフィ一 ルをバイリンガルで読み上げた。

「マガリ君。20歳。シドニ一在住歴、 3ヶ月。趣味は、サ一フィン!」

「なぜ、このコンテストにでたの?」 と、ジャックが彼にマイクを向けた。

「俺、飛び入りなんスよ。今夜、 宿なしなんで、優勝の宿泊券狙いっス」

ア〜ラ、優勝しなくても大丈夫。 だって夢中ナイトは、オ一ルナイトよ!

再度"夢中ナイト"を開催したら、諒君を 1等賞にしてやろう。それまでオバチャ ン(女王様)、ミッシェル福島は、頑張 りまっせ。タリラッ。


『旅する遺伝子』
世界各国を旅したときのエピソードを綴ったエッセイ