桜井 大路の巻

Model : Michelle Fukushima



「 観相家とは何ゾ? 」

という人のためにわかり易く説明すると 悩める人の顔、つまり人相を観ながら 適確なアドバイスを促してあげるいわば、 カウンセラ一のような職業なのだ。

人は多かれ少なかれ悩みを持ち、その 悩みを親、兄弟、友人などに相談する が、現在のように核家族化が進み、若者 は都会へと出て行くと相談相手がいなく なってしまう。

「だから僕みたいなオジさんが、 必要なわけだ」と桜井先生。

4年前の秋、私も悩める乙女だった-- 私のテ一マは"結婚"--

オ一ストラリアに住んでいたときに知り 合った現地の男性から、帰国直前にプロ ポ一ズを受けたのだ。私は彼のことを、 男友達の一人、としか思っていなかった ので、そりゃ一、驚いた。

しかし彼は超マジで、私に再度求婚する ため、はるばるJAPANまでやって来たの である。

女にとって望まれて結婚するのは、 この上ないことだし一、と私の心は揺れ、 彼が帰国してからもそれは続いていた。

そんなおり桜井先生を知り、私は 先生にお伺いを立てることにした。

初めてお会いする先生は、着物を着て、 とても素敵なオジ様、という印象だった が、その瞳は鋭く、「かかってきなさい」 とでも言っているかのようだった。

私は先生に相談し、私と彼が一緒に 写っている写真をお見せした。

「この人物とは結婚しない方がいい。 したとしても別れる」

と先生は、江戸っ子弁でバッサリ斬った。

「将来、結婚してうまくゆくカップルの 写真には "色"が出るんだよ。なにかしら 感じのイイ色がね。でも、この写真には その色がない。駄目だな」と続けて先生。

なるほど"色"か一、と思いつつ 私は家路に就き、その夜、 オ一ストラリアの彼にデンワを入れた。

「結婚、OKするわ」 と。

私は彼より、オ一ストラリアに 魅力を感じていたかもしれない。

そして数日後、 彼から大きな封筒が送られてきた。 それは私を彼の婚約者として、 オ一ストラリア政府が受け入れる ビザの書類だった。

手に取って眺めること数分---。 その時なぜか、この結婚が間違いである と、私は悟った---。

そして、この結末を先生に報告すると

「今度は色の出る写真を持って来るんだね」 と言って笑った。

それ以来、私は先生の大ファンになり、 先生の事務所へ"顔"を見せに 行くようになった。

2年前、こんなこともあった。 仕事でヘア一メイクさんに、眉を細〜く カットされた私は、心配になって 先生に見せに行った。 ところが、「いいね」と一言。

「オ一ディションに行く時は、 眉山を丸く描かないで、少く鋭くなさい。 その方が "ヤルゾ" という感じが 出るからね 」だって。

そして暫く私の顔を見つめると、 こう言った。

「メイク道具を出してごらん」

なに、メイク道具? なんと先生は、ブラシで私の、 目尻に白いハイライトを入れたのだ。

オヨヨ、ヘア一メイク桜井! ではなくて "開運メイク" らしい。

女性の目の周りというのは、 女性ホルモンの中枢であり、 その色の濃さで、性的なことが 全て分かってしまうのだという。

「女性は男性にそれを見破られない ために、目の周りに化粧をし始めた。 これが、化粧のル一ツだよ」

いや一、男を騙すことから化粧が 始まったなんて、女とは昔からズル賢い 生き物だったザンスね一。

それでは、成功する女性の人相とは、 どんな人相なのだろう。

「顔は小さく、付いている部品 ( 目、鼻、口 )が大きいこと。 そして、輪郭は四角いこと」だそうだ。

さて、あなたの人相は?


JJの巻

Model : Michelle Fukushima



94年9月10日。

私はニヤニヤしながら、 電車の社内広告を、ジ一ッと見つめていた。

かの文豪、司馬遼太郎氏の隣に、 私の名前が、チョコンと書かれてある。

その広告とは『文芸春秋』10月号の発売告知。

この文芸誌の83ペ-ジに、めでたく私のエッセ- "マネキン・レポ一タ一"が掲載されたのであ〜る。 パチパチ。(この広告、記念に欲しいなぁ〜) と思った瞬間、私の男友達のことを思い出した---。

彼の名は、JJ。

日本で活躍していたアメリカ人のファッションモデル。

ある日、彼が乗った電車の車両で、 自分が出演したデパ-トの広告を発見。

「 Oh, It's me 」

僕じゃないの一、と言いながら彼は 次の行動に移った。そう、その広告を パクッちゃたのである。

と、そこまではよかったのだが、 車掌がその一部始終を目撃していたのだ。 かくして JJ は、次の駅の駅長室へと 連行されたのだった.............。

「 これ、僕。僕が写ってるんだから、 べつにイイじゃん〜 」と、 車掌に訴えるプワーな JJ 。

聞くところによると、社内広告を盗んだ場合、 3万円も支払わなければいけないらしい。

すったもんだの挙句、彼の所属するモデル クラブのマネ一ジャ一が、彼を引き取りに着て、 払わずに済んだそうだ。その広告は?というと 「 戻します 」と言って頂いてきたそ一な。

こんな無鉄砲男 JJ だが、 私に色々なことを教えてくれる。

ベジタリアンの彼は、サラダのメニュ一が 豊富な店に詳しく、よく私を誘ってくれた。 中でも私のお気に入りは、原宿の "バンブ一 "。 この店は、お花がいっぱい咲いていて、 お天気の良い日にオ一プンテラスで フレッシュジュ一スを頂くのがよろしい。

JJ は、仕事で全国各地へロケに行き、 絵になる場所も日本人以上に知っているのだ。

「 東京だったら、都庁だね。中野坂上のビルの屋上 から撮影したんだけど、人物の後ろから都庁が 浮かび上がる様なかんじで、ダイナミックだった 」

じゃ、大阪は?

「 京橋のツインタワ一の前に、透明なプラスチィック のオブジェがあるんだ。夜になると、その中にライトが 灯って、すごく宇宙っぽい。ポスタ一どりだったっん だけど、いいム一ドだったよ 」

実は私も、このオブジェの前で撮影したことがあった。 昨年、セントラルファイナンスの会員誌『セフィ』 の表紙とグラビアのモデルをしていた時、 6月号の撮影で訪れたのだ。

この時の衣装は、スタイリストさんが そのオブジェに合わせて選んだ気合いの一作。 白のショ一トパンツス一ツに、のれんの様な チェ一ンのベルト。そしてトドメは、太モモまでの 超ロングブ一ツ!このスタイルで、オブジェと一緒に ポ-ズをとっていたら、えらく注目を浴びたゾ。

「 あッ、アンドロメダ星人 」って。

JJ とは、しばらく会っていないが、 先日彼から手紙をもらった。 本国アメリカで結婚して"パパ"になった、と。

「 息子が将来モデルになって、 自分が出ている広告を電車の中で見つけても、 パクらせちゃ駄目よ 」と、私はジョ一ク混じりに、 返事を書いたのであった。


Unjoo Moonの巻

Model : Michelle Fukushima



ミッシェル福島は、女優である。

と、こう書いてしまうと

「 ウッソ一。一度もTVで、彼女の演技を 見たことないわ 」と言われてしまうだろうが、 それもそのはず。私はオ一ストラリアで、 女優をしていたからだ。タリラッ

(これは私の口癖で"ジャ一ン"とよく似た表現)。

この私をオ一ストラリアで、みごと女優 としてデビュ一させてくれたのが、 オ一ストラリア育ちのチャイニ一ズ 『アンジュ・ム一ン』女史である。

アンジュとは、私がシドニ一に住んでいた4年前、 友人宅のパ一ティ一で知り合った。

彼女は、本国で1つしかないという映画や TVのプロデュ一サ一やディレクタ一を 養成する学校に通っている学生で、将来は、 映画の監督になりたいのだと言う。

「 今、私がプロデュ一スしている作品に、 出てもらえないかしら?あなたにぴったりの 役だと思うんだけど 」とアンジュ。

"エ一、女優ねぇ一"と思ったが、 せっかくのお誘いなのだ。やるっきゃない。

---数日後、彼女は台本を手にスタッフを 連れて、私のフラット(アパ一ト)にやってきた。

「 あなたの役はレポ一タ一。 あなたが、オ一ストラリアのファッションや 音楽なんかを日本のTV番組に紹介するという 設定なの。台詞は日本語でやってもらうから、 この台本を全部、日本語に訳しておいてね 」

番組のタイトルは、私が提案した 『カルチャル・スシ』に決定し、アンジュの 学校のスタジオで撮影することになった。 タリラッ。

もちろん私は、台詞の練習を十分にやって、 たとえ間違えても日本語だし分かりゃ一しねぇ一わ、 と出かけたのだが撮影の当日、 アンジュは私にこう言うではないか!!

「それがね、この番組をTV局が買い取る ことになったの。だからTVでオンエアされるから、 台詞は英語でやってくれって」

嘘でしょ。ジョ一ダンでしょ。私は学生が作る ただの作品撮りだと思ってOKしたのに。 マジでオ一ストラリアのTVで流れるの一。 しかもセリフは英語てか一。

そして私は言った。「 出来ない。帰る 」と。

「 ミッシェル、あなたならやれるわ。 時間は十分にあるし、それに秘密兵器もあるのよ 」

秘密兵器?

それは"テレプロンプタ一"といい、 役者の台詞を機械にインプットしてシ一ンの流れに 沿って台詞が画面に次々と映し出される、という カンニングペ一パ一のような機械なのだ。

まんまとアンジュに乗せられた私は、40人ほどの スタッフが見守る中、スタジオにセットされた ワ一ゲンの車の中にスタンバイした。 車の中に備え付けてあるモニタ一TVを通して、 日本サイドと私が会話する、という構成だった。

私の頼みの綱とも言うべき"テレプロンプタ一" は、TVの画面に入らないよう、かつ、 私の目の届く位置に配置された。

「 台詞を忘れそうになったら、あの機械を使って。 ただし、目線があの機械ばかり追っていると 変だから、時々、目線を外してね 」

アンジュの言った通り、"次の台詞 なんだったっけ?"という時に、その偉大なる 秘密兵器の威力は発揮されたのであった。

4時間に及ぶ撮影の後、編集して出来上がった 番組の試写会が大勢の学生を前に行われた。 緊張の一瞬である。

初めての女優業。しかも英語のセリフ..........。

番組を見終わると、1人の学生が 私に向かって拍手を送ってくれた。 すると、また1人と拍手の音が どんどん大きくなっていった。

「 私が映画を作る時も出てくれる?  あの秘密兵器を用意するから 」と言うと、 アンジュは私に、ウインクを投げかけたのだった。


斎藤諒くんの巻

オバチャン撮影のリョウ君と姉の足
諒君は、こんなに英語が上手になりました。→VOICE



斎藤 諒君は、私の甥っ子である。

姉、真利が諒君を生んで、私は 名実ともにオバチャン? になった。

神奈川県生まれの諒君は、 当年とって1才半。

まだ言葉は喋れないが、 1つだけ諒君が覚えた言葉があるのだ。

それは「 ワンワン 」。

姉が絵本を見ながら諒君に教えたのだが、 ネコちゃんを見ても、おブタさんを見ても、 小さな頭の中で混同してしまうのか、 諒君は「 ワンワン 」と言う。

先日、私が諒君を連れてス一パ一 ヘ出かけた時のこと。

レジの近くで諒君が「 ワンワン、ワンワン 」 と大きな声で言い出した。

その時そばにデッカイおばさんがいたので (きっと、この人をゾウさんと間違えている のだろう)と思った私は、諒君をたしなめた。

ところが、そのおばさんのTシャツの柄を よ一く見ると、なんと、スヌ一ピ一が描か れているではないか。エライぞ、諒 !

オバチャンは疑って、ゴメンナサイだ。

この出来事を姉に報告すると、 姉は母親らしい表情でこう言った。

「 昨日、諒君が寝てた時、 初めて寝言を言ったの。『ワンワン』って 」

そうなのダ。

"ワンワン" という言葉しか知らない諒君は、 寝言もワンワンしか言えないのだ。

ま一なんて、無垢な子なのでありましょ一か。 テケテンテンテン(三味線の音)。

諒君の寝言の話から、夢の話になって、 ふと、私は気がついた。 それは最近、英語で夢を見なくなったことである。

ロンドンやシドニ一に住んでいた頃は、よく英語で 夢を見ていた。ところがこうして日本に住んでいる と英語を話す機会が少なく、英語で夢を見るほど 英語漬けになるのは難しい。

そこでオバチャンは考えた。

諒君と会う時は、 かならず英語で話しかけることが、 私の右脳を英語で刺激して、 英語で夢をみてやろうと。

もしかしたら、私が英語で話しかけることが、 諒君の将来にプラスにだってなるかもしれない。 そして諒君に"ワンワン"ではなく 英語で "BOW WOW "と、言わせるのだ。

こう決心してから数日後、泊りがけで 姉の家に遊びに行った。

「 This is for you . Put it on 」

「 これプレゼント。着て見て 」と 言いながら、私が横浜で買ってきた チャイナ服を諒君に着せた。

「 You look just like a Chinise 」

「 まるで中国人みたいでチュね 」と、 私はペラペラと英語を連発。

諒君は、この前まで日本語で お話ししていたオバチャンが、 いきなり異人さんに変身してしまって、 少し混乱を隠せない様子。

私はそれをシカトして、絵本を教材に 英単語[ bow wow ]のレッスンに移った。

「 This is Bow wow , Say , Bowwow 」

「 これは、バウバウよ。 バウバウと言ってごらん 」

やはり、初めて覚えた記念すべき言葉は、 根がとても深いらしい。  その日は、練習の甲斐もなく、 見事、失敗に終わってしまった。

そして翌日の朝食時、 姉が私に、こう言うではないか!

「 昨日、変な夢でも見たの? 夜中に "バウ〜〜" とか唸ってたわよ、犬みたいに 」

オバチャンが英語で夢をみる日と、 諒君が、"BOW WOW "と言う日と、 どちらが先なのだろう?


Soren Matzの巻

モデル: ミッシェル福島 / ソ一レン・マッツ氏
舞妓の真りえさん



私の友人に、ソ一レン・マッツという デンマ一ク人の男性がいる。

彼は本国で、16才から家具職人として働き、 22才の時、日本の家具や家屋に魅せられて 来日。30才の現在、家具のデザインをはじめ、 日本の伝統芸術である数寄屋造りや、茶室 の設計にも携わる数少ない外国人である。

そんな彼から去年の暮れデンワがあった。 なんでも、ソ一レンは"日本で成功したデン マ一ク人"として、先日デンマ一クの雑誌から インタビュ-を受け、その雑誌に載せる写真に、 私にも出演してくれないだろうか、と言うのだ。

その雑誌は『ユ一ロマン』といい、デンマ-ク で唯一の男性向けファッション誌。 クォリティ一の高いファション性で人気があり、 ソ一レンの記事に載せる写真も、女性モデル を使ってオシャレなものを、という注文があっ たらしい。

そこで、ソ一レンが考え出したのは、高級 料亭で、彼自身が上座にお殿様のごとく 鎮座し、左手には舞妓を、右手にはセク シ一な女性をはべらせている、、という図。

「 そのセクシ一な女性が君の役だよ 」

と彼は軽〜く言うのだが、 私はちっともセクシ一じゃないゾ。

しかし、彼は続けた。

「 コスチュ一ムは君にまかせる。 バッチリ、セクシ一なので頼むよ 」

ソ一レンのアイディア通り、撮影は 京都の料亭「 菊乃井 」にて行われた。

カメラマンは、京都で活躍中の忠さん。 撮影に立ち合ったのは他に3人。アメリカ 人のリチャ一ドとデンマ一ク人のリッキ一。 それにデンマ一ク人でソ一レンと同じ名前 のソ一レンと、なぜか全員、外国人だった。

さて、問題の私のコスチュ一ムとは...... 黒のタンクトップに黒のミニスカ一ト、 黒の長い手袋と黒いストッキング。 (けっこうシンプルじゃない)と思う かもしれないが、ところがドッコイなのだ。

撮影の前夜、私はせっせと内職をして、 タンクトップに、聴かなくなったCD20枚を 付けちゃったのである。

人呼んで "CDトップ20! "。

さらにセクシ一さを出すため、こんな細工 も施した。お乳をギュ一と上に持ち上げ、 そこに肩パッドを密入し、ダイナミック ボディへと、みごと変身を遂げたのダ。

--午後7時、もう1人のモデル、 舞妓の真りえさんが、艶やかに登場。

漆のお膳の前には、豪華な日本料理が 並べられ、3人が所定の位置に着くと 撮影はスタ一トされた。

「ミッシェル、こういうふうに座ったほうが いいよ」と、リチャ一ドが座り方を伝授。

「ソ一レン、緊張せずに笑って」 と、リッキ一。

「舞妓にお酌をするポーズをしてもらおう」 と、ソ一レンと同じ名前のソーレン。

英語と日本語、そしてデンマーク語の飛び交 う中、賑やかな撮影は続けられたのだった。

撮影が終わると、ソ一レンが私の耳元で 囁いた。「すごくセクシーだったよ」

今頃デンマークで、『ユ一ロマン』が、発売さ れているはずだが、デンマ一ク人として故郷 に錦を飾ったソ一レンと、セクシ一女性こと ミッシェルが、彼らの目にどう映っているのか、 気になるところである。


Kaleb Jamesの巻

モデル:ミッシェル福島 & Kaleb James



去年のハロウィンパーティ一で、 ケイレブ・ジェ一ムスという アメリカ人男性と出会った。

彼は、キ一ボ一ドプレイヤ一兼シンガ一 なのだが、本国アメリカでのキャリアは 実にスゴイ。

あのボビ一・ブラウンが在籍していた ニュ一エディションをはじめ、アル・B・シュア やレニ一・クラビッツといった人気ア一ティスト たちと仕事をしてきた実力派なのである。

来日して4年目になるが、先日、 小比類巻かほるのバックミュ一ジシャン として『ミュ一ジックステ一ション』に出ていた 大きな黒人( 身長192cm、体重100kg )、 と言えば覚えている人がいるかもしれない。

現在は、ケイレブ率いるバンド "ミ一&マイフレンド"で活躍中なのだ。

先日私は、初めて彼の住む鎌倉の家へ 遊びに行くことになった。

私はその日、本厚木の姉の家にいたので、 小田急線に乗って藤沢駅(JR線も通っている) まで行きタクシ一を拾って彼の家へ、という プロセスを踏んだ。

「 JRで来たよね 」と彼が言ったので、 「 いや、小田急 」と私が答えると、 彼はいきなりエキサイトするではないか。

.......「 オダキュ一!!アイ・ヘイト(大ッ嫌い)」

このひと言で私はピ一ンと来た。 実は、小田急線に乗るには、注意しなければ ならないことが1つあるのだ。

それは、始発の新宿駅から小田急線に 乗車する場合、相模大野駅でその車両が、 まっ2つに引き裂かれるということ。

まん中から前方の車両は小田原方面へ、 まん中から後方の車両は片瀬江ノ島方面行きにと、 相模大野駅で見事に変身してしまうのである。

ケイレブはこのミステリ一トレインのカラクリを 知らずに、2度も痛い目に遭ったのだと言う。

「 僕の断わりなしに電車がハーフになるんだ。 ニュ一ヨ一クではあり得ない。 アンビリ---バブルだ! 」とイカリパックのケイレブ。

こういう間違いが、なぜ起こるのかというと、 彼が"外国人"だからである。 『この電車は、相模大野駅で分裂します』と、 外国人のために"英語"で表示すればいいのだ。

しかし、日本語でちゃんと表示してあったにも かかわらず、ケイレブと同じ失敗をした日本人がいる ....................ワタシ。

行き先は姉の住む本厚木なのに、 ケイレブの住む藤沢方面へ行ってしまったのだ。 それ以来、東京から姉の家へ向かう時は、 必ず力が入ってしまう。

「 さっ、小田急にのるゾ 」 みたいな..............。

小田急の失敗談が一段落すると、ケイレブは ニコニコしながら私に小包を見せてくれた。 アメリカの母親から届いたという その小包の中には、アメリカで人気のアニメ 『 シンプソンズ 』のビデオと、男性のための お料理ブックが入っていた。

手紙には「この本を使って、ちゃんとお料理 するんですよ」と母の愛のお言葉。

はて、私がロンドンに留学中、 母は何を送ってくれたのだろーか。 一番印象に残った贈り物とは"壷入りの梅干し"だ。 久しぶりに見たシンプソンズのビデオは愉快だったし、 小田急の悪口も言い合って有意義な1日だった。

そして数日後、ケイレブからデンワがあった。 「 オダキュ一で寝過ごした 」だって!

皆様、小田急線を御利用の際は、 "気合い"を入れて御乗車下さい。


Bowler Familyの巻

ボウラー 一家



以前、私がロンドンに住んでいた時のことである。 ス-ジ-から、デンワがあった。

「クリスマス、うちに来ない?」

彼女は、ノッティンガム州のニュワック という町の出身で、農業を営む彼女の 両親と、家庭的なクリスマスを過ごさな いかと言うのだ。

ワ-イ!チャ-ルズ・ディケンズの"クリス マス・キャロル"を体験するチャンスでは ないか!しかし、何を着ていこう?

聞くところによると、ス-ジ-のご両親は ゲストの私が"日本人"であるからおお 喜びしたそうなのだ。ここは日本人代表 として、恥じをかかない衣装を選ばねば なるまい。ならば、これだよね-。

私はさっそく日本の母へデンワを入れ 『フリソデ送レ』と伝えた。

12月23日の朝は大忙しだった。 日本人の経営する美容院で髪を 結ってもらい、着付けを済ますと、 チェリング・クロス駅へと向かった。

駅で着物の袖をヒラヒラさせながら、 ス-ジ-を探していたら、大勢の英国人 から声を掛けられた。

「オー、ベリービューティフル!」

外国で着物を着ていると、 洋服の時の100倍は注目を浴びる。 いっそのこと"ミス・ジャパン"という、 たすきをかければよかったゼ。

---無事、私達がボウラ-家に到着 すると、ス-ジ-の母親のジィ-ンが にこやかに出迎えてくれた。

「キモノ、初めて見るの。キレイね。」

さあ中へ、と通された私は、目がテンに なってしまった。なんと、30人程のイギ リス人がひしめきあっているではないか!

"アゼン" としている私に、 ス-ジ-の父親のデビッドがこう言った。

「君がキモノを着てくると言ったから、 親戚と友人を呼んだんだよ」

いや-、そうだったんザンスか。"キモノ" という一言で、こんなに人が集まるなんて、 キモノは、水戸黄門さんの"インロ-"か-。

そして彼等は、つぎつぎと質問した。

「トイレはキモノを脱ぐまで我慢するの?」 とか、「値段はいかほど?」などなど。 私はつたない英語で返事をしたのであった。

翌日のイブのディナ-は、ジィ-ンの 名コックぶりが披露された。

家族の皆がドレスアップして食卓につく と、家長であるデビィドが丸ごと焼いた "七面鳥"をナイフで切り分け始めた。

「この七面鳥は、冷凍してス-パ-で売って るの?」と私が尋ねると、ジィ-ンが笑いな がら答えた。「いいえ。昨日までうちの庭 を駆けずり回っていたのよ」だって。

素晴しいディナ-が終わると、 クラッカ-を鳴らしながら、 プレゼントの交換会がスタ-ト。

私はカラフルな包のプレゼントの山を 前に、どれから開けようか、しばし悩 んでいた.........。ところが、横からス-ジ- の弟のアンドリユウが、私に囁いた。

「プレゼントは、クリスマスツリ-の下に 並べるんだよ。26日になったら、皆で 一斉に開けるんだ」

なんでも26日は、"ボクシング・デイ" といって、クリスマスのプレゼントを 開ける日で、子供達はその日が 来るのを楽しみに待つのだそう。

そして翌朝、素敵なハプニングが 起こった---。家畜の豚が、7匹 の子豚を生んだのである。

初めて見る生まれたての子豚達は、 母親のお乳を無心に吸って、とても 可愛らしい。

「大きくなったら、ここに入りきれ ないね。」と私がス-ジ-に言うと、 彼女はサラリと言ってのけた。

「大丈夫、それまでに、うちで食べ ちゃうから」

ア-メン。いや、メリ-クリスマス!


石橋義治さんの巻

モデル:ミッシェル福島



今回の主人公は、石橋義治さん。

彼を語るには、まず彼の個性的な 髪を説明しなければなるまい。

彼の髪は天然パ-マで、指でピュ-ンと 引っぱれば5、6cm伸びるのである。

演出家の和田勉さんのガハハヘア-に、 コテを使って10分間カ-ルした感じ、 といえば想像していただけるかもしれない。

この石しゃん(石橋さんのニックネ-ム)の 正体とは、大阪のTV番組制作会社に勤める ディレクター。この道23年のベテランだ。

彼と初めて仕事をしたのは、ハングライダー の大会で、私が外国人選手のリポーターをの したとき。3年前、和歌山の串本で行われ、 6泊7日の長期ロケだった。

串本は、橋杭岩が有名でいい所なのだが、 仕事がひけても遊びに行く所がなく、 スタッフの楽しみといえば"食事"となる。

それをきずかってか、石橋さんは食事の時、 スタッフにこう言ってくれた。

「なんでも好きなもん食べや」

ところが、ロケに来て5日目の夕食時、 彼はこう言うのだ。

「経費が底ついてきた。 今夜は4人で6000円までで抑えよな」

メニューを見ながら、カメラマンの西尾 さんとADの鳶野君と私の3人で、 電卓を手にオーダー。

食事が始まって間もなく、 1本オーダーした紹興酒が空になった。

「もう1本いるなぁ」と石しゃん。

「それ、ヤバイですよ」と私。

そこへ店のオバちゃんがやってきた。 そして、石っしゃんは言ってしもた。

「紹興酒、もう1本!」

しかも、もう1本どころか4本も飲んで、 おまけに料理も追加注文ときた。

その夜のディナーは、しめて1万1000円なり。 アーア。

2度目の仕事は『爆笑ゴングショ-』という 番組で私がナレ-ションを担当したとき。

これは、英語と日本語をミックスする という石橋さんのアイデアで、 私はその原稿づくりにもチャレンジ。

レコ-ディングの当日、 彼は私にハッパを掛けた。

「ええ、ドナリ、頼むで」

この”ドナリ”というのは、番組のタイトルなど、 強調したい文句を元気よく発声することだ。 その日、私は、ドナリまくった。

ほかに『桂南光のこちら夢通り』では、 何度も、モデルとして出演させて頂いている。

この番組は『ニュースステーション』の前に 月〜金の帯で放送され、5分という枠ながら 高視聴率を誇る番組なのだ。

神戸にある”神戸北野ホテル”では、 白で統一されたスイートルームや 中庭の見えるオシャレなフレンチ レストランで食事のシーンを撮影した。

その日の私は、髪をシニヨンにして、 黒と白の水玉のスカーフを首に巻いて パリジェンヌっぽくキメていた。 そんな私を見ながら、 カメラマンに指示する石っしゃん。

「花をナメて、ミッシェルにピン送りしてや」

これは、テーブルの上の花を撮影しながら、 徐々に座っている私の顔にピントを 合わせるということ。

私は何度も食べるシーンを 撮影しているが、これがとても難しい。

食べるシーンを演じるポイントは、 "自然に、品良く、美味しそうに食べる" の3つ。TVに写るのはたった2秒程 なのに、私は常にこの3つのポイント と闘っているのだ。

撮影が終わると、よく石橋さんは スタッフを食事に誘ってくださる。 彼はこう尋ねるのだ。

「今日、ケツカッチンか?」と

この"ケツカッチン"の"ケツ"とは "お尻"のこと、ではない。 後に仕事などのアポイントが入って いないか、ということなのだ。

ギョーカイどっぷりの石橋さんだが、 定年まで、現場のディレクターでいたい のだと言う。けれどそのためには、お酒を 少々控えめにした方がいいかもしれない。


『 一期一会 』
今まで出会った魅力的な人を綴ったエッセイ